Jroの気まま日記帳

日々日常の事やら趣味の日記

幸せの定義

さて、眠りにつく前に。

 

幸せの定義は人それぞれですよね。

 

お金を沢山持っている人で、南国のリゾート地で高い料理やお酒を飲みながら過ごしているのが、幸せと話す人もいるでしょうし、海外でなくても国内で高級車を買って、ドライブをするのが幸せと言う人もいるでしょう。

 

まぁ上記のような体験した事の無い幸せの感覚は、分からないに決まっているのですが、お金をあまり使わないで幸せになれるなら、それはそれでいいのかなぁと思います。

 

例えば仕事のふとした場面で幸せに感じる事もあれば、ドライブしている時に心地良い音楽がカーオーディオから流れている場面とか、些細な事で自分はいいのです。

 

それはお金を沢山払って色々な事を経験してみたいし、沢山物を買ってみたいと言うのは当然あります。

 

幸せな時って本当に余計なネガティヴな事って忘れているんですよね。

暖かい場面に包まれていると、笑みが溢れますよね。

 

去年、本当に大変な時、部屋に閉じ籠ってしまうのは簡単だったのですが、それは精神衛生上良く無いです。

そんな時、ドライブに出かけたんです。

季節は秋で、紅葉の時期だったので何の気無しに見に行ったんです。

車内で好きな音楽を流して暫く紅葉を眺めていると、この上無い至福の時間がやってきました。

その時頭に浮かんだのは、

「勝つとか負けるとか超越してしまって、一定のラインを超えると、自然を見るだけで幸せを体感できる」

と感じたんです。

 

そしてそんな時の景色は光り輝いています。

 

16年前の時も同じ事が起きたなと思い出しました。

 

周りの大自然が、光り輝いて見える時、人間は精神的に進歩しているんだと思います。

負の連鎖を断ち切った事への、神様からの贈り物とも取れますよね。

優しい気持ちに包まれます。

それが愛なのでしょう。

 

愛は恋愛と捉えがちですが、聖書などに書かれている愛は永遠で誰でも受け取る事が出来るものです。

良い人、悪い人関係なく愛はその人に降り注いでいます。

それをキャッチ出来るかなのでしょうが、恋愛が愛と言うのは少し違うと思います。

恋愛の最中にいるとそれは幸せでしょう。

ですが、恋愛は永遠の愛でしょうか?

どちらかが妥協し始めたら、それは永遠の愛ではありません。

 

無条件に降り注いでいる、神様、又は宇宙からのエネルギーと書きますが、それをどう見つけ、そしてその愛を見に纏うかが、幸せの定義を変えていきます。

人間は脆いので、心が騒つくのは仕方ないとして、騒ついた後に愛を浴びる事を忘れなければ、暖かい場面に包まれて幸せを体感できるでしょう。

 

本当に素晴らしいですよ。

何もかもから解放されて愛に包まれる事。

 

愛を浴びたなら次はその愛を隣人へと繋ぐ事ですよね。

皆んなで愛を共有できたら、平和でしょうね。世界中。

 

何だか壮大な話になってしまいましたが、本音です。

 

さて、寝ます。

 

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